思い返せば私は厳しい両親の末っ子としては、ずいぶん自由にさせてもらったと思います。
門限も破ったし、朝帰りもしたし、早くに家も出たし、日本にいない時も多くて、生存確認もままならなかったと反省しています😓
それでもいつも何かしらやってみたいことがあってそこに向かう猪突猛進のパワーだけはあり、何とか両親を説得しながら実現させてもらってきました。
留学した時も、転職した時も、会社を辞めた時も、IRODORI 彩り相談所をやると決めた時も、全て自分で勝手に決めてやってきました。
もちろん留学費用などは全て自費ですよ!
私のワガママですから当然です。
男性ならそれでも許されるかもしれないけど、私は女性で大変な道を歩むことになるのも両親はわかっていたはず。
それでもいつも陰ながら応援して見守ってくれました。
父親も変わったタイプなので、定年してから上海に社長として2年間駐在しました。
その話が決まった時は、一緒について行かなければならない母親は嫌で嫌でしょうがなさそうだったけど、世界を見てほしくて、行ってみるように説得しました。
あれだけ嫌がっていたのに、上海に着いた翌日には一人で大学に行き、中国語のクラスを申し込み、友達も作り、いつの間にやら、タクシーの運転手さんにクレームまで言えるようになり、すっかり強くなりました。笑
上海には5回くらい遊びに行って、まだまだ発展途上の頃から、段々と都会になっていく変化を身近で見ることが出来て、私はとてもラッキーだったと思います。
上海にいると周りのパワーがすごすぎて、圧倒され、負けないように主張したりしないと生きていけません。
もう何年も上海に行っていないので、きっとすごく変わっているのでしょうけど、また訪れてみたいです。
やっぱり母親に通訳になってもらうのが一番楽しめそうです。
まだ行ったことのない台湾も狙っていますので、行けた時にはまたアップします。笑
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